FC2ブログ
2018 10 ≪  11月 123456789101112131415161718192021222324252627282930  ≫ 2018 12
スポンサーサイト
--/--/--(--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事のURL | スポンサー広告 | ▲ top
フィンランドの自殺予防プロジェクトに学ぶ
2008/05/06(Tue)
前回記事に関連して。

フィンランドは、かつて日本以上の「自殺大国」でした。
しかし、危機感を抱いた政府による国を挙げての自殺予防プロジェクトが実施され、
10年にわたる取り組みの結果、目標を上回る自殺率30%減を達成したのです。

このフィンランドのプロジェクトは有名で、その後各国のお手本となり
日本でも幾多の団体や研究者が言及しています。
ただ、我が国の政府レベルで取り上げようという動きは今のところ見えません。

自殺対策支援センター ライフリンクを代表とする民間12団体が、
一昨年5月、~自殺対策の現場から「国へ5つの提言」~と副題のついた文書を作成しています。
一部抜粋します。

●現代の自殺の多くは、過労やリストラ、社会的孤立やいじめ等、社会的な要因がその背景にあり、自由意思に基づく行為というよりも「追い込まれての死」であると言われています。自殺に追い込まれていく個人だけを対象とした対策では、つまり“対処療法”にしかならず、「人を自殺に追い込んでいる社会」をも対象とした総合的な自殺対策が、いま必要とされている。
WHO(世界保健機関)が明言するように、「自殺は、その大半が防ぐことのできる社会的な問題」です。国を挙げて自殺対策に取り組んだ結果、30%以上も自殺率を下げることに成功したフィンランドの例からも、自殺総合対策の有効性はすでに実証されています。日本でも、そうした取り組みを社会全体で行えば、自殺を減らすことができる-。
 つまり、
 「自殺対策についての考え方を変えれば、確実に自殺を減らすことができる」。

2年が経過していますが、日本の自殺対策の現場はほとんど変化がありません。
この提言の他の部分にもあるように、手弁当のボランティアが支え、飽和状態なのです。

フィンランドの取り組みがどれほど大規模なものだったか、なぜ効果が大きかったか、
研究者の方がまとめられたものからもうかがい知ることができます。

 フィンランドの自殺予防対策-国と自治体の連携の試み-
              山田 眞知子  (北方圏生活福祉研究所年報 第12巻)
以下、抜粋です。

なぜ自殺予防をしなければならないのかという明確な理念を持っていた。
自殺予防の取り組みを、個人の精神衛生ケアを行うと同時に、社会政策的アプローチで行った。それらや失業対策等の労働政策、教育政策などと連動して行われた。また前年度の自殺のすべてのケースを調査することからプロジェクトを開始した。
国が立ち上げたプロジェクトであったが、実施は市町村レベルのサービスを通じて行われた。そのために関係諸機関がセクトを超え、民間団体の協力も含めた横の連携を実施した。プロジェクトには出来るだけ多くの専門家の協力を得て、市民に広報を行った。セクトを超える協力・連携の他に自殺予防の普及の手法として重要視されたのが、ガイドブック作成と職員のトレーニングプログラムであった。
国はとりまとめのために予算を立てたが個々の自治体の取り組みは自治体の議会の決定に任された。
報道機関との協力・連帯が行われた。これはフィンランドの文化を変えるという目標のために特に重要であった。

大がかりでもあり、かなり思い切った方法で、「メスを入れる」と表現したい部分もあります。
特に、⑤報道機関との協力・連帯 の部分。
私が前回記事の中で触れた「事件報道」の方向性が確かに示唆されていないでしょうか



…あまり長くなりすぎますので、(イツモカ笑)
次回この部分についてまた書きたいと思っています。 初の三部構成ですし!? うわァ…(・_・;) 
(ハイそこの貴方、ウンザリした顔しなーい!爆) 

★参考文献など
『自殺総合対策の実現に向けて』~自殺対策の現場から「国へ5つの提言」~PDFファイル
フィンランドの自殺予防対策-国と自治体の連携の試み-PDFファイル
[自殺予防についての基礎知識]-日本の論点PLUS-

スポンサーサイト
この記事のURL | 日々徒然 | CM(8) | TB(0) | ▲ top
<<ビクトル・フランクル | メイン | 「いのちを絶つ」重さ>>
コメント
-  -
個人の精神のケアも社会的政策も
ほとんど何も無いこの国で
私みたいに弱いやつは
すぐグズグズっと消えることに惹かれて行っちゃうんですよね

一人一人が真剣に本気にならなければいけないこと
山積みですね

重さを感じられなくなってる人間に
重さを教えることの
なんていう重さ・・・

自分の命がねぇ
しゃぼん玉みたいに軽くて頼りなくて
壊れやすくて
重さが全然見えてこなくなっちゃうんです

マズ自分の重さを感じられなくちゃ
どうしようもないですよね
2008/05/07 00:31  | URL | ako #JNaGb44s[ 編集]
-  -
厚労省の統計によると、日本の自殺者数は1998年に急増し、
以後高水準で推移しているそうですね。

動機は「健康」が最も多く、次が「経済、生活」だとか・・・・・。

こんなに豊かな国で、経済や生活問題で、
命を絶ってしまう人が多いというのは、
いつもの「政治が無い・・・・」という、処に
行き着いてしまうのが哀しいですね~。

今日も、日中の会談をしているようですが、
だいたい、有意義な会談が出来るのかしら?

パンダは可愛いですが、数億円で、レンタルする
という事について、考えてしまいます^_^;
2008/05/07 10:44  | URL | マム #-[ 編集]
- akoさま -
人間はねぇ 基本的にはものすごく弱い
過度のストレスに耐えるようには出来ていないと思います
自分を消してしまいたい衝動に対抗するのに必要な要素は
その人その人によって千差万別。

ただ、自分一人で解決しようとすると行き場が無くなってしまうことも
様々なハンデを負っても安心して生活できる社会であれば
かならずどこかが手を差し伸べる仕組みがあれば、思い詰めなくて済む
政府の主導があれば実現可能な部分がかなり大きいですから
なおさら悔しい思いをします。

社会全体がまだ無知だった頃は
いのちの重さを教えるのにはまず「宗教」がありましたけど
今は様々な角度からのアプローチが必要ですね
なかなか難しいことです

私はね
「いのちがある」ことが何よりも大事だと理屈抜きに確信してます
そのひとが「いる」だけで大きな意味があると

これだけでは、本当に瀬戸際にいる人には説得力ないのもわかってるんですが
それでもいつだってまず言いたいことはこれなんですねぇ(^_^;)
2008/05/07 23:26  | URL | ささめ #-[ 編集]
- マムさま -
環境問題でもそうですけど、
「これからどうなっちゃうんだろうねぇ」みたいな話はしても
「でもその頃はもう自分は生きてないしー笑」
「自分らが考えてもどうにもならないしね笑」で終わらせてしまう人の多いこと

政府までがそんな調子で、短期的なものの見方しか出来てない
さまざまな不具合が起こってる原因はそこかなと

保険制度や年金制度を部分的にいじっても
社会を支える国民の構成がいびつになっているので
制度そのものが崩壊する可能性は消えない
安心できる社会とは程遠いですよね

政治屋さんにまかせておくには、問題が難しすぎる所まで来てるのかも
考えてると暗くなっちゃうことばかり…どうしたもんですかねぇ
ここはイッパツ …神頼み!? (爆)
2008/05/07 23:56  | URL | ささめ #-[ 編集]
- おはようございます。 -
すごく考えさせられます。

国をあげての取り組みというのも素晴らしいと思いますが、でも何か「国」で取り組む前に大事なこともありますよね。
以前精神医療の現場に身を置いていた時、いつもそればかり考えていました。
ストレス、生活面、将来の不安等でその中で目には見えないもので人の心がどんどんと削られていき、ギリギリのところにきてしまった時、本当はそんなつもりはなくて突発的に行動してしまい命を絶つ人がとても多くて悲しいというよりも怒りに似た感情もまた湧いていました。

ささめさん、、、。
そうならなくて済むような融和世界ってきっとありますよね?
2008/05/08 07:39  | URL | 如月 #Q9o2tpIk[ 編集]
- 如月さま -
>ストレス、生活面、将来の不安等でその中で目には見えないもので

そう、これですよ
まず、人をそこまで追い詰めてしまう状況を無くしたい
過度のストレスをため込まずに済む、安心して生活できる社会になってほしい

高度成長期には、将来に不安を持つ人は今より少なかったでしょう
自分を取り巻くすべてがどんどん良くなると、誰もが信じていたから
二極化が進み、雇用や福祉その他に不安材料が消えない現在では
まずその背景からして精神衛生上問題があります。

個人のケアをになう専門家たちだけに頼るのは限界だと思います
まず、社会的不安をどうにかしないと追い詰められる人たちは減らない
大規模な施策が必要なところまで来ていると私には思えて
理論上は可能なんです。実施出来さえすれば。

その社会不安を当の政府が甘く見ているのがやりきれないところですが…(ーー゛)
2008/05/08 08:52  | URL | ささめ #-[ 編集]
-  -
命があることが何よりも大事

確かにそうですよね

それが不安で見えなくなる
命がいつまであるのか
明日なくなるのか
10年はあるのか
何も見えないところが
不安で不安で

その不安を感じないですむなら
消えたほうが楽だ・・と

自分の居ることの意味をマズ
きちんと捕らえない限り
全ての人からこういう問題は
消えてなくならないのでしょうね
2008/05/10 21:40  | URL | ako #JNaGb44s[ 編集]
- akoさま -
生きている意味を重く考えすぎるのも善し悪しなんでしょうね
反対にいつまで命があるのか不安になることがあっても不思議ではないです

命について答えを出そうとしてきたのは「宗教」と「哲学」でしょう

キリスト教では「生」とは闘う事。「死」に追いやる病や状況と闘い抜いて
それで負けても、神の元での永遠の命を約束されています。
仏教では反対に「死」は「生」を受けた時から身の内にあると考えます
これを避けられないものとして受け入れることで「安心」を得るのです。
哲学は、「死」などは無いという考え。(笑)
死ぬまでは生きていて死んだら死後なのだから、死は実態のない「点」でしかないと。

「生きること」「死ぬこと」への悩みを解決しようとする点は同じ。
不変の、そして解決されないテーマです。
私はやはり、仏教的な考え方がいちばんしっくり来ますね。

ただ、自分のいのちを自分で終わらせたい衝動というのは
状況さえ変われば無くなることもある
社会全体が変わって行かなければいけないなと

悩むだけならいくら悩んだっていい
悩むのが人間であるあかしなのだから。(エラそうでごめんなさいね)
2008/05/11 00:19  | URL | ささめ #-[ 編集]
コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する


▲ top
トラックバック
トラックバックURL
→http://0710sasame.blog122.fc2.com/tb.php/60-5c073b8a

| メイン |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。